油絵の創設者ヤン・ファン・エイク①

ヤン・ファン・エイクという画家はご存知でしょうか?

その前にその時代について少し…

 

ジョット・ディ・ボンドーネ「キリスト哀悼」1305年頃 フレスコ画
アレーナ礼拝堂(パドヴァ

ジョット・ディ・ボンドーネという偉大な画家(作品はほぼ残っておらず、かつての巨匠達によってジョットの真筆といわれていた作品も最新の科学検証によると違うという…うーんどうなんでしょ)が13世紀のイタリア美術に革命をもたらし、そこからじわじわと古代の再生、そうルネサンスの考え方が広がっていったんです!

ちなみにジョットと同じくフィレンツェで同時代に生きた詩人のダンテの「神曲」にも彼を讃する文が出てきます。

 

時は進み15世紀前半。

特にフィレンツェでは、芸術の再生に情熱を傾けることに皆が一生懸命になり、古代ギリシャ・ローマの研究をし、科学をも習得していきました。いわゆるルネサンスの本格始動です。

誰もがうんうんと頷く天才達が出現しにしまくったルネサンスのピークである16世紀までまだもう少し…!今さら応援しても意味ないけれど、ファイトだ!笑笑

 

今まで完全に他国に遅れをとっていたイタリア美術がここから芸術の中心となっていきます!

 

しかし同時期に北方でも同じ動きが始まっていました。

そしてここで登場ヤン・ファン・エイク

その当時のネーデルランド(現ベルギー領)にて活躍していた彼が偉業を成し遂げ、その後にも多大な影響を与えていきます。

 

分かりやすいことで言うと、油絵創始者が彼です!

これだけでもとんでもないですね。

それまではテンペラといって、色の素になる植物や鉱物を石臼でひいてから卵をいれた液体で混ぜて絵の具を作っていたんですが、これがまあすぐ乾くし、微妙な色から色への変化をつけることができなかったそうです。

そこで、ヤン・ファン・エイクは卵の代わりに油を混ぜてみたんです。

すると光沢のある色が作れ、塗り重ねて透き通る釉薬のような層も作れることができ、扱いも非常に簡単になりました。

このおかげでまるで鏡に映したかのような表現を可能にしたのです!

勿論一気に油絵が広まりました。

ヤン・ファン・エイク(ファンエイク兄弟)「神秘の子羊」ゲント祭壇画
1432年 油彩 聖バーフ大聖堂

上の写真のゲント祭壇画ですが、なんと13回もの犯罪と7回の窃盗に遭っているそうです…

何度も戦争に遭い、ヒトラーにも押収されたり、国から国へあっちいったりこっちいたりというなかなかの波瀾万丈ぶり。最後は岩塩窟に隠されていたそう。

なんとまだ見つかっていたない部分もあります…

 

縦3.75m 横5.7mの超特大の祭壇画。

遠くからでも信者たちに伝わるようになっています。

日曜祝日は上のように開き、平日は下のように閉じてあるそうです。

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2020年に修復が完了し、元の場所にもどってきたのですが…

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!!!!!!!!

 

これは一時期話題になっていた人面子羊(笑)

左が修復前で、右が修復後です。

これを天国から見たヤンはどう言ってるんでしょ?笑

整形に失敗してしまったかのよう…

 

ちなみにこの祭壇画は兄のフーベルトによって着手され、弟のヤンによって完成されたものといわれています。

 

とにかく現実と向き合って、執拗なほどの観察を持って描き込まれています。

左上の聖歌隊の口の動きで信者たちはどの聖歌のどの部分を歌っているかまで分かるとか…

馬の毛の1本1本も数えられそうだし、人々の衣服のひだなんかもとても自然。

ついこないだまで知られていなかった遠近法も完璧です。

そしてそれらが技術を見せびらかしているかのようには感じられないところが美しい。

 

こちらは絶対に日本には来ないと言い切れるので、また行けるようになったらすぐにでも会いに行きたい名画のひとつです^^

 

聖バーフ大聖堂はさることながら、フランドル絵画が豊富なゲント美術館も必見です✨