【智積院に並ぶ国宝】長谷川等伯、久蔵親子の楓と桜
むかーしむかし、群雄割拠の世の中にて活躍した一人の絵師がおりました。
絵師の中でもその頃は狩野派とよばれる軍団が圧倒的な力を誇っており、大きな仕事は全てかっさらい織田信長や豊臣秀吉からも重宝され、世の名声を欲しいままにしていました。
狩野派の中でも特に天才と謳われていた狩野永徳が党首となっていた狩野派黄金時代、能登の七尾から33歳の時に上洛し、一代でその永徳率いる狩野派をも脅かし強大なライバル絵師となった人こそ長谷川信春。
のちの名を長谷川等伯といいました。
と、いうわけで!
本日は私の大好きな長谷川等伯、そしてその息子である長谷川久蔵について書いていきましょう!
等伯の生涯はまだまだ謎が多いですが、簡単に紹介を。
もとは能登の戦国大名畠山氏に仕える下級武士の家の生まれでしたが、染め物屋の長谷川宗清の養子として引き取られました。
養父の宗清は仏画を描いており、そこで等伯(信春)は絵と出会ったそうです。
信春時代のその頃に描いていた仏画は現在、石川県七尾美術館(石川県七尾美術館 – ISHIKAWA NANAO ART MUSEUM)に多く所蔵されています^^
一念発起して上洛した彼は、大阪は堺の油屋出身で本法寺住職である日通上人と交流を深め、そこから誰もが名を聞いたことがあるでしょう千利休と出会います。
この出会いが信春から等伯と名乗るきっかけとなり、狩野派と対等に渡り合っていく波乱の人生のきっかけだったといえます…!!
千利休は等伯の絵師としての才能を見込み、大徳寺に寄進していた「金網閣」の天井と柱の装飾画、そして塔頭三玄院の障壁画を依頼しました。
大徳寺なんて京都の名刹で狩野派ではなく、それもまだ有名ではなかった一人の絵師がこんな大仕事を託されるなんてとんでもない大事件です!
永徳プンプンですよ。
さらに永徳を刺激することに、この千利休から引き受けた仕事は大成功をおさめ、一躍有名絵師長谷川等伯として名を馳せることになりました。
ここから永徳とは血は流れない死闘を繰り広げていくことに…
等伯の数ある傑作の中でも今回紹介するのは、京都の東山地区にある智積院にある国宝「楓図」そして久蔵の「桜図」
桜図は久蔵25歳の時の作品ですが、なんとこの傑作を生みだした翌年に不慮の死を遂げ散りゆくことになりました…
(真相は定かではありませんが、狩野派の妬みから殺された説も…)
そして息子の死を弔い書き上げたといわれる父、等伯の楓図。
こちらが智積院の収蔵庫で寄り添うように並べられています。
もう目にした瞬間に胸に込みあげてくるものがあり、久蔵の画面から溢れださんばかりの満開の瑞々しい桜に並び、楓のどっしりとした古木が画面いっぱいに力強く枝を伸ばしている姿が何とも呼応しあっていて圧巻の一言です。
桜には日本画で使われる胡粉(貝殻を砕いてつくる)が塗り重ねられていて、それが金箔によって反射すると美しい陰影が浮かび上がり、立体的に見えるというものなんですがこれがまた難しい技法なのだそう。
しかもそれが数百年経った今でも剥がれ落ちることなく花を咲かせ続けていることは摩訶不思議…!
等伯の人生は生きていた時代も合わさって本当に波乱万丈なものでした。
世の有名な絵師としては珍しく、絵以外のことに対しても人が出来ているなあと色々読んだ中で感じてなりません。
人の命の儚さを身をもって何度も経験し、その全てを背負い弔うことを絵に込めていたという等伯にしか書けないそこはかとなく漲る力強さとそこはかとなく漂う無常感。
等伯の最も有名な一作「松林図屏風」(東京国立博物館蔵)なんてその頂点にあるなと。
なかなか展示されるタイミングが少ない一作ですが、こちらもぜひ皆さんに見ていただきたい!!!
こちらもまた別の機会にたっぷり紹介したいと思います♪
智積院の拝観料は一般500円
拝観時間は午前9時~午後4時まで
収蔵庫内は撮影不可となってますが、利休好みの名勝庭園前の大書院にはその複製障壁画が飾られています。こちらは撮影可となってますがやっぱりなんといいますか…本物を観たあとでは少し冷たさを感じます…ね
また明日~!
今日もお付き合いありがとうございました!